何かを学びたいと考えたとき、ハードルになるのが「学費」。学生が多額の学費ローンを抱えることが社会問題になっているアメリカで誕生したのが、入学から卒業までの学費はかからない代わりに、卒業後に収入から一定額を学校に支払う「ISA」(Income Share Agreements/所得分配契約)という契約モデルを採用する学校。現在、その波は世界中に広がっています。

このISAを日本で初めて導入したのが、エンジニア養成学校CODEGYM エンジニア転職」。現在はコロナ禍で学習・就職に影響を受けた学生を対象にプログラミング学習を無償で提供する支援プロジェクト「CODEGYM Academy」も展開しています。

代表を務めるのは、鶴田浩之さん。10代からIT業界で活躍を続けてきた時代の寵児が、教育分野に足を踏み入れた理由は? そして活動の原動力は…。ライフハッカー[日本版]編集長・遠藤祐子がインタビューしました。

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毎日心が折れても「成長」するものに勇気をもらう【コードジム 鶴田浩之インタビュー後編】 | ライフハッカー[日本版]

毎日心が折れても「成長」するものに勇気をもらう【コードジム 鶴田浩之インタビュー後編】 | ライフハッカー[日本版]

不登校だった中学時代、インターネットが唯一の居場所だった

──鶴田さんは10代で起業されていますが、どんなお子さんだったんですか?

小さなころから喘息などの持病があって、体が弱く病気がちでした。中学時代は学校に行けない不登校の時期が半年ほどありました。

決して裕福な家庭ではなかったけれど、家にはパソコンがあったんです。親はITにうとくて、今でもLINEすら使いこなせないのですが、「せめて子どもたちには」という思いがあったのだと思います。インターネット上の世界が僕にとって唯一の居場所になりました。

当時は個人がブログなどで情報を発信しはじめた時代の黎明期でしたが、僕もそこで情報を発信したことが、今に至るすべてのはじまりですね。

大好きなゲームのニュースサイトをつくったり、ユーザー同士が交流できる掲示板サービスをつくったり、海外からリークされた情報を翻訳していち早く紹介したりして、自分なりに誇りをもって運営していたら、いつの間にかたくさんの方が見てくれるようになって…。

ある有名ゲームタイトルで検索すると、ゲームメーカーの公式サイトが最初に出てきて、2番目はWikipedia、3番目に僕のファンサイトが出てくるなんてことも。あるときインターネット広告代理店と名乗る人から「広告を貼りませんか?」とメールをいただいて応じたら、いきなり20万円ぐらいの臨時収入になりました。

──すごい! 中学生ですよね。

そのときは、インターネットビジネスのことなんて一切考えていないどころか、自分のやっていることが収入につながることすら知らなかったです。自分が幸運だったなと思うのは、ビジネスを知る前に、技術に出合えたこと

ただ純粋に楽しくて、お金を稼ぐことよりもユーザーが増えることに夢中で、時間を忘れてのめり込んでいました。「こういうページがつくりたい」「どうやったらこういう見せ方ができるんだろう」と、技術はその都度覚えていったという感じですね。

僕は体も弱かったですし、不登校でつらくてコンプレックスだらけだったんですが、そうした小さな成功体験を重ねるうちに、学校にも普通に通えるようになりました

だんだんと収入が増えて所得税を納めなければいけなくなってしまい、仕方なく親の扶養から外れました。高1のとき、一時的には親の収入を超えましたね。

──若くしてお金を手に入れて、よくまっすぐ育ちましたね。

いや、一回だけ天狗になったことがあるんです(笑)。高校生で月収が何十万円になって「人生、上がったな。いち抜けしたな」と勘違いをしてしまいました。

得たお金は、はじめはサーバー代にあてたり勉強用の本を購入したりする程度だったのに、使い方も派手になっていって、ギターでもはじめようかと思って手にとったのは初心者用ギターではなく、ギブソンのレスポールとか(笑)。田舎だったので、天狗と言ってもその程度なのですが…。

で、どうなったかというと、今振り返るとそこが収入のピークだったんです。ユーザーのためだとか、自分が好きだとか内発的な動機ではなくなって、稼ぎたいとか、邪な考えを持って他のことに目がくらんだ瞬間に、運営するメディアのページビューが落ちてしまいました。

自分のスキルや目標を磨き続けなければ、現状維持すら難しい」「仕事に対するひたむきさが大事なんだ」と気づけた出来事でしたね。本当に反省しました。

高校時代にお金を稼げてよかったなと思うのは、たくさん本が買えたこと、九州から東京へ定期的に出かけられたこと、日本中を旅したこと。

あと、海外にもたくさん行けたことですね。スティーブ・ジョブスは二十歳のときにインドに行ったということを何かの記事を読んで、じゃあ僕は10代のうちに行こうと思って2回行きました。

自分の前に、名刺交換待ちの大行列ができた

──大学入学を機に、上京されたんですよね。

半年の仮面浪人生活を経て慶應義塾大学に入りました。まわりには上場企業の社長の息子だとか、オリンピック選手とか、競技プログラミングの世界ランカーとか、いろんな人がいて、あらためて自分は井の中の蛙だったことに気づかされましたね。

でも、同世代から刺激が受けられる環境になって、心機一転がんばろうという気持ちも湧きました。途中で起業したので、2年生以降はあまり学校には行かず、結局6年半も大学生をやってしまいました。

起業のきっかけは、二十歳のときに投資を受けたこと。起業家の登竜門とされるピッチイベントに自分でつくったサービスを携えて参加したら、優勝しちゃって。「投資させてください」って、僕の前に名刺交換待ちの大行列ができたんです。あのころは若い起業家も少なかったし、貴重な経験でした。

20代前半でのM&Aの経験は、少なからず僕の生き方に影響を与えています。21〜22歳のころは、30代になったら自己資本で投資家になり、若い人に還元したり業界に貢献したりして生きていけたらいいなという漠然とした思いがありました。

でもこの10年でエンジェル投資家やVC(ベンチャーキャピタル)はすごく増えましたよね。10年前に憧れていた投資家像とは少し違ってきているし、今わざわざ自分らしさをもってやるべきことではないのかなと考えが変わりました。

投資家も増え、起業家も増えたけれど、ソフトウェアをつくる人は不足しているのではないか。だったら僕はエンジニアやプログラマーになりたい人を応援したいと思ったんです。

──そんな気持ちが、今の教育事業につながっているのですね。

子どものころ、僕は教師になりたかったんです。企業に勤めているときも、副業で依頼された研修講師などで人に教えたり、成長する姿を見たりすることがうれしくて。教えることが好きだし、向いているんだなって自分でも思いました。

10代20代はいろんなことに目移りして、器用貧乏なところもあったと思いますが、30代では20年ぐらい情熱を注げるテーマが欲しかった。そこで、教師になりたいという子どものころからの憧れと、インターネットの原体験が結びついたという感じです。

今の仕事は天職だ、と心から思えますね。

「この学校に通えてよかった」のひと言が、情熱の源

──どんなときに天職だと思いますか? また、天職を見つけるにはどうしたらいいでしょうか。

教育に従事する人はきっとみなさんそうだと思うのですが、教育者の一番の喜びは教え子を送り出すこと。きついからやめようかなと相談を受けていた学生から「やめなくてよかった」「この学校に通えてよかった」という言葉をもらうと、その一つひとつが熱になる。それがパッションの源ですね。

天職を見つける方法としては、子どものころや思春期に憧れていた仕事に改めて挑戦してみるのも一つの手だと思います。違和感があったら、その反対側に動いたほうがいい。違和感があるままだと、ストレスもきつくなると思うので。

僕もいろいろなことをやってきて、違和感の反対側にあるものを探っていたら、やっぱり教育にたどりついたという感じです。

──コードジムの事業を通じて、目指すゴールのようなものはありますか?

お金であきらめない世界をつくりたいですね。

たとえば日本では、最終学歴が高卒という人が統計的に4人に一人くらいです。僕も地方出身で裕福な家庭ではなかったのでよくわかるのですが、家庭環境で大学への就学をあきらめたり、早くから働いて家庭にお金を入れなければいけなかったり。なんとなくそのまま地元にいるという地方独特のカルチャーもあります。

20代後半ぐらいで人生設計をちゃんと考えなきゃと焦りはじめ、いざ学びたいと思っても遅れを取り返す手立てがない。働き方を変えたいと思ったときにどうしても学歴が必要になる。ファーストキャリアで就職した会社が合わない。別の業界に行きたいけどこれから学ぶには遅すぎる──。

そう考える人たちに、お金の心配をせずに半年ぐらい集中して学べる機会を提供したい。教育と人の可能性への投資ということです。

「CODEGYM エンジニア転職」で、支払い方法の1つとして導入しているのは、がんばって勉強して幸せに働けるようになり、新しいキャリアで給与を得るようになってから、額面の10%を学費として、支払いを開始してくださいという成功報酬型のISAモデルなんです。

これから事業を続けていくなかで、例えば2030年には日本では1万人に、この学資ファイナンスシステムを使ってリスキリングと転職支援をすることを目標にしています。同時に、先にはじめる東南アジアやインドなどでは、もっと多くの学資ファイナンスのニーズがあるため、年間10万人というのも目指すゴールではありますね。

──先行投資は怖くありませんか?

まさにそこですね。この社会的事業にとって、一番の課題が資金繰りです。

ISAをやっていくには、3年から4年かけてリターンを計算するため、まとまった資金が必要です。新規のVCからは毎回のようにその論点について説明を求められます。

学び直しと転職支援によるISA事業を回していくために、サステナブルな教育ファンドをシンガポール拠点で始める準備を進めていますが、日本のVCや銀行などはまだまだ保守的なので、毎日胃が痛い思いをしています(笑)。


次回後編は、鶴田さんの働き方やプライベートを中心に語っていただきます。

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鶴田 浩之(つるた・ひろゆき)

1991年、長崎県生まれ。13歳のときからWebサービスをつくり始め、16歳で起業。慶應義塾SFCに入学後、20歳のときに株式会社Labitを創業。リクルートグループ、Gunosy、KADOKAWA等に事業譲渡/M&Aを経験後、2017年に株式会社メルカリに参画。メルカリの新規事業の創出を担うグループ会社、ソウゾウ執行役員に就任。2016年、渋谷・道玄坂に新刊書店・コーヒースタンド「BOOK LAB TOKYO」をオープン(2018年にインフォバーングループへ営業譲渡)。2019年に株式会社LABOTを設立し、2020年より日本初「出世払い」を支払い方法の1つとして採用したオンラインのエンジニア養成学校「CODEGYM」を展開している。

※株式会社LABOTは、2022年9月に、株式会社CODEGYMに商号変更を予定しています。
※株式会社LABOTは株式会社メディアジーンの投資先です。

Source: コードジム(1, 2)/Photo: YUKO CHIBA