古典から何を学ぶことができるのか。立命館アジア太平洋大学学長の出口治明さんは「ロックの『市民政府論』を読めば、政府は自分たちで作るものだとわかる。当時の常識にとらわれないロックの理論は、現代にも十分通用する内容だ」という――。

※本稿は、出口治明『ぼくは古典を読み続ける 珠玉の5冊を堪能する』(光文社)の一部を再編集したものです。

認識できない男性有権者は、投票箱の上に投票用紙を手に持っています
写真=iStock.com/Sergey Tinyakov
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政府と市民の関係はどうあるべきか

ジョン・ロック(1632~1704年)は、政府と市民の関係はどうあるべきかを考えた人です。現在の自由主義、民主主義の根本の理論をつくった人だと位置づけされています。彼は、「政府をつくるのは市民の権利を守るためなのだから、市民にとって望ましくないことをする政府は、市民が交代させることができる」としました。

当時のヨーロッパには「王の支配権は、神から授かったものだから絶対であり、市民は王に逆らうことはできない」という王権神授説が存在していたのです。

キリスト教の神とアダムの関係と同じように、父親は子どもを支配し、子どもは父親に従うものとされていましたから、王と市民の関係もそれと同じだと。この考え方にもとづけば、市民にとって王は絶対的な存在で、どんな命令をされても従うより仕方がないということになります。

ところがロックは、王が市民に利益をもたらす方向に傾いているのか、それとも損害をもたらす方向に傾いているのかよくよく確かめなさいよ、と述べます。そして損害をもたらす方向に傾いていると判断したら、訴えていいんですよ、と続けました。

ロックの理論は現代にも十分通用する

この本ではこうした考えをまず父権の説明から始めます。親が子どもを支配するのは、自然なことではない。子どもは誰かが保護しないと生きていけないのだから世話をするのは当然で、子どもに対する権力は、子どもの世話をする義務から生まれているのであって、絶対的なものではないと述べるんです。

さらに十分に世話をしない親は、その権力を失う、とします。王や政府と、市民との関係も同様で、王や政府は市民の自由や財産、生命を守るために存在するのだから、そのために働いてくれないなら取り替えていい、というわけです。当時、ロックの思想がいかに新しかったかわかるでしょうか。

日本では、昭和の時代になっても王権神授説に近い考え方をしていました。戦前、国民は天皇の赤子であると言われていたんです。赤子とは、子どもという意味で、天皇が天子ですから、天皇は、市民にとって絶対的な存在でした。

ロックが17世紀に喝破した思想を、日本は20世紀になっても肯定していたんです。戦後、この考えは否定されましたが、今日にいたっても、日本の一部の人たちが抱く家族観はロックの理論に追いついていないと感じることがあります。

ちなみにこの本でロックは父権という言葉を使っていますが、父親の権利と母親の権利は同等だということもはっきり書いています。あの時代に男女は同権だと言っていることからもロックは常識にとらわれない、常識を疑う力の強い人だということがわかります。ロックの理論は、現代にも十分通用する内容です。