ロシアがウクライナに侵攻を開始してから1年余り。この間にウクライナで取材を重ねてきたジャーナリストの佐藤和孝さんは「今回の侵攻は、他国に紛争をたきつけ、親ロシア派を助けに行くという名目で出兵する、まさにプーチンの典型的なやり方。現地の戦況を見ると、ロシア軍は驚くほど弱いが、戦闘の長期化が予想され、もはやバランスを保っていた世界情勢には戻れない」という――。

※本稿は、佐藤和孝『ウクライナの現場から』(有隣堂)の一部を再編集したものです。

キーウ中心部の商業地域も破壊された(2022.3.19)
撮影=佐藤和孝
キーウ中心部の商業地域も破壊された(2022年3月19日)

侵攻開始時プーチンの誤算はどこにあったか

2022年2月24日、ロシア軍はウクライナに侵攻を開始。当初は3、4日、長くて1週間程度の作戦だったといわれる。たしかに、電撃的にゼレンスキー大統領を殺害するか国外逃亡させ、そのあとに住民投票でもして傀儡かいらい政権をつくってしまえば、西側諸国は何も言えなかっただろう。そこが目論見だったのは間違いない。

KGBが前身であるFSB(連邦保安庁)も、プーチンにそれが可能であると報告したと思われる。2021年8月にアメリカが撤退した後、タリバンに制圧されたアフガニスタンのガニ大統領のように、真っ先に逃げ出すだろうと見ていた。ゼレンスキーがコメディアン出身ということで揶揄する声もあったし、まだ44歳で政治経験も浅い彼を、FSBは完全に甘く見ていたのだろう。

傀儡政権をつくってウクライナ全土も意のままにしようとしたプーチンの作戦は、キーウ攻略から手を引いた時点で失敗し、州の一部に傀儡国家のある東部のドネツク州、ルハンシク州の完全制圧に軍事目標を切り替えた。しかしウクライナ軍の抵抗は激しく、出口のない長期戦になってしまった。

こうなった以上、この戦争は2年、いやそれより長く続くだろう。クリミア併合以来、これまでに8年争ってきたことに決着を付けようとしているのだ。そしてウクライナの戦後復興は、どんなに早く見積もっても10年はかかる。

チェチェン共和国では14年の泥沼の戦争に

同じように都市が廃虚になった光景を、私はチェチェン紛争でも目の当たりにしている。チェチェン共和国はロシア連邦憲法では、連邦を構成する国家の一つとされ、ソ連崩壊後、ロシア連邦に残った国である、ところが独立を求める武装勢力が蜂起し、第1次(1994〜96)、第2次(1999〜2009)と足かけ14年という泥沼の戦闘が続いた。あのとき目の当たりにした首都グロズヌイの空爆で破壊された街並みは、私が今回取材したキーウ近郊のブチャやイルピンの惨状に似たところがある。

しかし日本の四国ほどの大きさで人口140万人ほどのチェチェン共和国と、ヨーロッパ第3位の面積と人口約4380万人を抱えるウクライナとでは規模が違う。戦争が長引けば長引くほど、廃虚となっていく街は広がり、軍人、民間人を含めた死傷者の数は想像もつかない数に上っていくだろう。