高齢者が高齢者の親を介護する「老老介護」では、当事者はどんな葛藤を抱えているのか。65歳の作家・森久美子さんが93歳の父親とのかかわりを綴った著書『オーマイ・ダッド! 父がだんだん壊れていく』(中央公論新社)より、一部を紹介する――。

※年齢は2021年当時のものです。

認知症でも失っていないもの

父が認知症の診断を受けてから、6カ月が過ぎる。数年前から急に怒りっぽくなったり、何か得体のしれないものに苛立ったりしていた父。日々能力が衰える自分に恐怖を持っていたのだと思う。

最もほっとした表情を見せるのは、「歳を取ったら誰だってそうなるよ」と慰められたときだ。私が父に頼まれた買い物を忘れたり、一度言ったことをまた言ったりすると、嬉々として言う。

「俺より先にボケるなよ!」

老々介護の域に入っている私としては、あまり笑えない。さりげなく言い返す。

「みんな歳を取るんだよ」

すると父は照れくさそうな顔をした。

父の孫の一人が、夏に結婚式を挙げるのが決まっている。両家の顔合わせ式が行われることになり、父が父親代わりに列席することになった。

私は父のクローゼットから30年以上前の現役時代のスーツを出し、ワイシャツをハンガーにかけた。ネクタイはお気に入りのものを、父が自分で選んだ。靴はスルっと履けて楽だけれど、カジュアルではないものを、靴箱から選んで出しておいた。

顔合わせ式の朝、迎えに行くとシューズボックスの扉が半開きになっていた。中を覗いたら靴クリーム等が入った箱の蓋が開いていて、使った形跡がある。

「パパ、自分で靴を磨いたの?」
「あぁ、俺がした」

玄関に並べてある父の靴が艶やかに光っている。私は、不意に涙が込み上げてきた。認知症だって、孫の晴れの日を祝う喜びが、父の中に溢れている。

革靴
写真=iStock.com/Yuliia Bondar
※写真はイメージです

今度の日曜日は父の日。今年こそ照れずに父に言おうと思う。

「パパ、ありがとう。私はあなたの子どもで良かった」

運転免許証を手放せなかった父

思い起こせば、父の運転をやめさせなければと強く思ったのは、2019年春のことだった。その当時父は90歳。夕食後に一緒にテレビを見ていると、衝撃的なニュースが飛び込んできた。東京の池袋で高齢者が運転する車が暴走し、母子が亡くなる事故が起きたという。

「パパ、こんなことになったら取り返しがつかないよ。もう運転をやめて」

父は素直に相槌を打った。

「そうだな。人を轢いたら大変だよな」

私は、父が80歳を超えた頃から、まだ運転していることに危機感を持っていた。今なら父は、免許証返納を決意するかもしれないと期待して、普段より強い口調で言った。

「人の人生を奪うことになったらお詫びのしようがないでしょ。免許証返納してよ」
「俺は人を轢くような下手な運転はしない。これまで事故を起こしたことはない」

私はかっとして声を荒らげた。

「何言っているの! 自分の問題として考えられないのは、年寄りの証拠。パパは思考が変になっているんだよ!」