【連載 極地志願 第1回】1998年に日本人初のワールドカップ総合優勝を成し遂げたプロフリークライマーの平山ユージさんは、W杯優勝の1年前に「人生を変えた」という登攀を経験している。W杯より印象深いという登攀とは、一体どんなものだったのか――。(文・聞き手=ノンフィクション作家・稲泉連)(後編/全2回)
フリークライマー・平山ユージ
撮影=永峰拓也

まるで「ミニチュアの世界」を見ているようだった

前編から続く)

サラテのオンサイトトライを開始してから、数時間がすでに過ぎていた。

着実に高度を上げていく平山は、壁に現れる様々な難所を、その強靭きょうじんな肉体と発想力によって、一つひとつ乗り越えていった。

登攀とうはんの途中、ふと「壁の外」を見ると、遥か下にミニカーのように車が走っている様子が見えた。木々も丸い点になったようで、まるでミニチュアの世界を見ているようだった。そんな風景を眺めると、少しだけ気持ちがすっきりとした。

壁は、想像以上にクリアに見えていた。何しろこの2年間、サラテのことを考えない日はなかったのだ。ハードなトレーニングによって、考えられる限りの「未知」を減らそうとしてきた。何度も繰り返し双眼鏡で眺めてきた「壁の中」にいると、クライミングの発想やアイデアが自然と生まれ、それが体の動きへと変わった。

「未知」に対処した先に見える景色とは

クライミングにおける「心」の状態は、身体能力の高さと連動している、と平山は解説する。「フィジカルのポテンシャル」が高まれば高まるほど、今まで難しいと感じていたことが簡単になる。それだけ心理的な負荷も小さくなる。それでもなおストレスを感じるポイントでは、テクニックによってプレッシャーを和らげる。

技術と体力と心が三位一体となり、それぞれを行き来しながら、目の前の課題を数学の問題に取り組むように解き明かしていく。そんな感覚が自分の中で上手く循環しているのを、このときの平山は感じていた。

平山にとってオンサイトとは、「自分自身を最大限に表現できる」と感じられるクライミングのスタイルだった。

創意工夫と鍛え上げた肉体によって「未知」に対処した先に、自分がどのような景色を見るのか。垂直の壁と全身で取り組むという行為は、平山にとって自分が求めている「何か」を与えてくれる行為だった。

一つの難所を乗り越える度に、平山は自分の裡で世界が押し広げられ、可能性が膨らんでいくのを感じた。